June 15, 2010

テレビを見ていて思ったこと

みんなの党ー渡辺 善美
自民党ー谷垣 禎一
菅 直人に「参院選で負けたら辞任するんですか?」と質問したレポーターのバカ女

みんなまとめて死んでくれ(本当はもっと消えて欲しい人がいますが)

自分の国の代表である総理がころころ変わるのがそんなに楽しい事かね。自分ならもっと上手くできるとでも?
自分の党に力がないのは誰の責任かわかってて発言してるの?この人たち。この程度の人間が代表やってるから政権取れないんでしょ?

一般選挙でも拒否権発動が出来たらいいのにと本気で思ってしまう。当選してほしくない政治家にいくらでも拒否投票できるようにするとかね(まあ実現可能性がないので無意味な意見ですが。。)

民主党の根拠なきマニフェストも大概どうしようもない大嘘つきだと思ってますし、全くもって官総理のファンでもサポーターでもないですが、かといって野党議員の仕事が相手をこき下ろすだとも思いません。

お前らの給料(もちろんレポーターのバカ女除く)に自分の税金がつぎ込まれているのかと思うと今すぐこういう人間こそ辞任してもらいたい。

解散総選挙の間お前らは全く国民にとって建設的な仕事しないだろうが。その責任はないとでも思ってるんか?

国民が求めてるのは選挙戦じゃなくて国民の為になる建設的な政治への参加であって、こういう人間が心から国や国民の事を考えているとは全くもって思えない。
こういうパフォーマンスは一体誰へ向けて行ってるんだろう?他人を責めることで高揚感を覚える姿が醜いと何故理解できないんだろう?頭悪すぎ。そして人としての品のなさに辟易する。

普段あまりきつい調子で誰かを非難することはないと思っていますが、あまりの体たらくに本気で憤りを感じてしまった。
お願いだからまともな政策の話をして欲しい。言葉尻だけを捉えて非難しあうような国会は全くもって見たくないし、もっと自分たちが国民から給料もらって仕事しているという事実を真摯に受け止めて欲しい。ヤジってるだけなら小学生でも務まるわ。それで2000万円以上の給料が出るんだったら世話ないわ。

もちろん24時間付き添いで仕事見てるわけじゃないからまともな仕事している場面もあるのかもしれんが、少なくとも国会であの程度の発言しかできない人間に政治家をやってほしくはない。

奇麗事で政治が務まるとも思わないけど、ここまで最低の人間が集まる日本の政治って何なんだろうと本気で考えてしまう。
凹むなぁ。。。国民がもっと政治に直接関与できるシステムってなかったっけ?

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November 11, 2009

政治家失格 and 人間失格

あんまり時事ネタのブログは書かないのですが、今回はあまりに腹が立ったので・・・

○小沢一郎のキリスト教批判

キリスト教が「独善的」で「排他的」?いみじくも一国の政治家が、吐く言葉だろうか?
それでは世界の人口の1/3の人は須らく独善的で排他的とでも?
自分はいったい何様のつもりでこんな言葉を吐いたのだろう?人間としてのあまりのレベルの低さに憤慨させられてしまいました。
今後一切この人の発する言葉を聞こうという気にはなれないです。

民間ならこの言葉だけで十分に職を失すると思います。日本の政治家はこんな発言をしても辞めずに済む程度の仕事なんですね。最悪です。


○亀井静香の外国人排除発言

これも最低。もちろん国政なんだから日本人が頑張ってやることに異議は唱えませんが、だからと言って外国人を入れてはいけないという意味でもないでしょう。
日本のために最善を尽くすのが政治家の仕事ならば、その最善策を決めるプロセスにおいて国籍が関係あるとは思えません。
もちろんいろんな意見はあると思いますが、外国人が選ばれたのはそれだけの能力があると認められたからでは?
こういう人はどんな理屈付けてでも外国人排除を行うんでしょうね。結局の所自分が外国人嫌いなだけのはず。これも人として腐ってます。
これだけ世界各国との間の相互依存が深まっている中、こんな時代錯誤な頭の悪い人間を国政に置いておく人の気がしれません。
投票制度にVETOを入れられる制度が欲しい。(反対票は通常の票数から引くとかね)

無論、これで全部の政治家が悪いとも全く思いませんが、この程度の人間が国政の枢軸にいることについては腹が立ってしょうがないです。
今すぐ辞めて欲しい。

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November 04, 2004

mixi & アメリカ大統領選挙

ようやく強硬スケジュールの出張も終わりを迎え、今はシンガポールの空港からただ乗りのインターネットで書き込みしております。

明日の朝の7時に成田につくんだけど、帰ったらすぐに会社に直行なので先に書いておかないとまた更新滞っちゃいそうですからね。まあ、明日は午後休みにするつもりだからちょっとは楽だけど。

さて表題のmixi(ミクシィ)です。
今週、友達に誘われてmixiをやってみたのですが、結構面白いです。

いろんな人と出会えるのももちろん面白いんだけど、何よりもこのブログを見に来てくれる人が増えたのが一番の収穫かな。自分としてはここが一番いろいろ自由にものが書けて便利なので、このページを見てくれる人が増えるとめちゃ嬉しいのです。

さて、mixiの話はまた今度に譲るとして(タイトルにするほどでもなかったな。。。)、アメリカ大統領選挙がついに終わってしまいました。

以前からこのページを読んでくれてる人はお分かりかと思いますが、自分としては半ば予期していたこととはいえ、かなり強いショックを受けました。ブッシュを支える人がいるのは分かっていながらも、事実として今後も彼の政権が続くことを考えると、正直「うんざり」を通り越して一種の憤りさえ感じます。(自分がなぜブッシュを嫌いかは以前書いたブログを読んでいただくと分かるかと思います)

以前テレビかなんかでロシアのプーチン大統領のことをとりあげた記事があり、その中で、ロシアの人たちがプーチンのチェチェン侵攻や、彼に政治的な黒い噂(政敵の暗殺命令を出したりとか)があるのを承知の上で、「それでも今のロシアにはプーチンのような強い大統領が必要だ」とコメントしていたシーンと今回の大統領選の結果がダブって仕方ありません。

「立場や見方によって物事の理解/本質はかわる」

分かってるつもりの言葉でも、こういう時局に面するとどこまで自分の意見を信じていいのやら不安になってしまいます。けど、それを踏まえたうえで自分の中で許せないものは許せないでもいいんじゃないかなって思います。

とりあえず自分にできることとして、今後しばらくは反ブッシュ、反イラク戦争の政治家にしか投票しないことにしようと思います。小さいけどこれも一つの意思表示かな。

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October 15, 2004

死刑制度

大学の授業で死刑制度について話し合う機会がありました。

その授業の中で教授が次のような発言をしていて、とても心に残っています。

「自分は死刑制度に反対だ。理由は色々あるが、最も大きなものとして私自身が死刑囚に対して刑を執行できないからだ。(死刑囚であっても自分がその人を殺すことができないという意味)」

この教授は確か政治学か何かの教授で非常に有名な人だったのですが、(名前は忘れた)こんな理由で死刑に反対するとは思っていなかったのでびっくりした記憶があります。

死刑制度についてはたびたび新聞でも取り上げられていますが、今のところ賛成のほうが多かったように記憶しています。このような記事を読んでいると、「死刑制度が犯罪の抑止力になっている」という意見や、「死んでも罪を償えるわけではないので、償いの機会を与えるべきだ」とか色々な意見があり、そのどれもが本当に尤もでなかなか自分の意見としてどちらが良いのか考えてしまいます。

前にも書きましたが、こういうのってどちらかが正しいって言うわけではないんだろうと思います。いろんな立場の人が様々な経緯や思いがあって意見を作っており、その一つ一つがその人にとっての答えなんだと思います。

その中で、教授の話が心に残っているのはこの意見が自分の皮膚感覚に近かったからではないかと思います。教授という立場上、当然に専門の立場から意見することはできたのでしょうが、彼の意見は最終的に彼が死刑囚に手を下せるかどうかという非常に個人としての感覚に基づいたものでした。

自分は、案外こういうものの見方や考え方というのも「あり」じゃないかなぁと思っております。

死刑執行もボタンをひとつ押すだけの作業なのかもしれません。しかし、実際には刃物を首に突きつけて刺し殺すのと同じ結果となってしまいます。そんなときにいくら死刑囚であっても自分は相手の喉もとに刃物を突きつけて殺すことができるだろうか?ということを考えると自分としては死刑に賛成できないんですよね。

死刑廃止という問題をこのような個人感覚のレベルで論じていいかどうかという問題もありますが、理論だけで判断できないような状況に陥ったとき、このような個人としての感覚というのが大事になってくるような気がします。

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September 12, 2004

アメリカ大統領

そろそろ大統領選ですね。個人的に反ブッシュの自分としては何としてでも彼の再選を防ぎたいのですが、特に出来ることも無いので普通に暮らしております。今からアメリカ市民になるのも難しそうですしね。

以前のブログで、「人を一方的に批判することは良くない事だ」みたいな内容を書いておきながら矛盾するようですが、私はこの人が大嫌いです。一つづつ挙げていけばきりが無いほど理由はあるのですが、何と言ってもその根本に流れる「許容性の無さ」と「権力の濫用」というダブルパンチが許せません。

許容性が無いっていうのはある程度はしょうがないことだと思っています。その人の育ち、環境、置かれた立場などで考え方は変わるでしょうし、「全てを受け入れる」っていうのは恐らく人間にはとても難しいことなんだと思います。それでも、敢えて自分のキャパシティを広げていくことは出来ると思います。物事や考え方を初めから否定することから始めるのではなく、少なくとも「理解しようと努める」ことでそれは得られるのではないでしょうか。その過程であくまでも受け入れられないものもあるでしょうが、この姿勢そのものを欠いてしまえば、それは(現アメリカ大統領のように)本当に心の狭い人になってしまうんでしょうね。

まあ、ブッシュ大統領の場合、この許容性の無さについてはどうしようもないでしょうからこれ以上書くのはやめにして、本当に許せないのはもう一つの「権力の濫用」のほうです。ブッシュ大統領が個人としてイスラムが嫌いであろうが、同性愛が嫌いであろうがそんなことは正直言ってどうでもよいです。彼と同じ意見の人はごまんといるでしょうし、「好きになって」といっても無理な話でしょう。

けど、「アメリカ大統領」という、恐らく世界の中で最も権力を持った立場の人間が個人の意見や宗教観に基づいた政治を行うというのは全く話が違います。確かに選挙を通して選ばれた大統領なわけですから民意を全く反映していないとはいいませんが、民意(ここでは多数の意見という意味で使っています)さえ反映していればよいというものでもないでしょう。もしそうであれば、護らなければいけない少数の意見は政治の場では全く意味を持たなくなってしまいます。政治の役割は多数意見の反映だけであってはならず、社会に公平さをもたらす役割もあるのではないでしょうか。

敢えてきつい言い方をすれば、現大統領は彼個人の意見や宗教観を「アメリカ大統領」という立場を利用してごり押ししているようにしか見えないのです。理想論ではありますが。力のある人ほど弱い立場の人を護る義務があるのではないでしょうかね?

私は彼と同じ(あぁ、「彼と同じ」という言葉を使うだけでも虫唾が走りますが)クリスチャンですが、彼と同じ宗教を信仰しているとはとても思えません。少なくとも私の信仰する宗教の根本的な理念は「愛と寛容」ですからね。この精神を彼の政治から見つける事は到底出来ませんから。(唯一、彼の行動に宗教性を見出すとすれば同性愛を嫌悪しているという非常に表層的なところぐらいかな。自分も含めて、ゲイのクリスチャンってめちゃめちゃ沢山居るんですけどね。)

どうしてもこういう話をすると考えなきゃいけないことが多すぎて文章が纏まらないですね。読みづらい文章ですみません。いずれもう少したって考えが纏まったところでもう一度取り上げようかな。

では今から香港に行ってきま~す。

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September 05, 2004

Both sides of the story

チェチェンのニュース、酷いものですね。

テロによる死亡数が250人以上と言うことは、その裏で悲しんでいる家族や友達などを入れれば何千人以上の人が言葉に言い表せないぐらいの悲しみを背負わされたのでしょう。

このような事件があると「テロは卑怯だ」とか「プーチンの政治的手腕に問題がある」といったような報道がなされますが、私はこのような報道に対してちょっと違った考え方をしてしまいます。

僕の場合、「自分がもしプーチンの立場で同じ事件が起こったら何が出来るんだろう」とか、「親兄弟も含めてロシアの圧制に苦しめられ、政治的な解決手段を見出せない中で兄弟がこのようなテロに走ったら何というのだろう」とか考えてしまいます。
誤解しないで頂きたいのですが、テロを擁護する気もプーチンの取った対応を非難したり肯定したりする気持ちは全く有りません。ただ、一方的に「テロは卑怯だ」とか言った所で物事が解決するわけでもないので、もう少し突っ込んでいろんな面から事件を見てみようと思っているだけです。

タイトルにも書きましたが、(済みません、このタイトルもフィル・コリンズの曲のタイトルからのパクリです)実際、事件には立場によって様々な見方が出来ると思います。ロシア政府の立場、テロリストの立場、人質の立場、他国で同じように政治的な圧力に苦しんでいる人たちの立場、国連の立場・・・・それぞれの立場も人によって意見が違うでしょうし、ひとつの「正解」や「真実」なんていうものは無いものだと思います。

「正解」や「真実」がないというとそれは言いすぎだと思うかもしれませんが、もし、そこに真にひとつの「正解」とか「真実」があるのだとしたら、それ以外の考え方や受け止め方は全て不正解や虚偽なのでしょうか。仮に100のものの見方があるとして、ひとつしか真実でないとすれば後の99人は全て間違ったものの見方をしているということになります。だとすれば1人の真実は100人の社会にとって本当に真実なんでしょうか?ちょっと考えてしまいますね。

とはいうものの、「どうせ正解なんて無いんだったら物事に対して意見なんか持たなくてもいいんじゃないの」というのも違う気がします。いろいろなものの考え方や価値観のある中で「自分はこう思う」ということを表現していかなければならない機会は必ず出てきますし、(身近な例で言えば選挙とかそうですよね)自分の考え方を持っていないと自分の判断が出来ないので他人の考えに(それが合ってようが間違ってようが)流されてしまいますよね。そうなると社会としては非常に危険な方向に流れていってしまいます。

もちろん自分の考え方と言うのは自分にとっての正解や真実であり、他人のものとは違う可能性があります。ただ、そこで他人に自分の考えを押し付けるのではなく違う点を理解した上でどこで妥協点を見つけていくかということが重要になってくるのではないかと思います。まあ、こんな青臭い意見は実際に苦しんでいる人たちにとっては何の重みも持たないかもしれませんが。けど、この妥協点を探して努力していく姿勢を忘れてしまえば、あまりにも寛容のない、荒んだ社会になるんだろうと思います。

そのためにも一方的に物事を決め付けて見るよりは、様々な立場に立って総合的に考えて見るほうが良いと思っております。

まあ、最終的には私のこの意見自体も「ひとつの考え方」であり、正しいものである保証なんて何にもないものなんですけどね。けど、人を否定しない世の中って今の世の中よりはちょっとはいい気がしませんか?

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