June 23, 2005

心境の変化

最近手に入れたい本(漫画)があって今日ちょっと本屋さんによってみました。

手に入れたかった漫画は「コンシェルジュ」という漫画で、ホテルのコンシェルジュを主人公としており、毎回毎回様々な要求を突きつけてくるお客様の問題を解決したり、困っているお客様に手を貸すといったような内容なのですが、サービス業に就いている自分としてはかなり啓蒙されることの多い漫画で、その思想や発想などの点で非常に参考になったりします。

で、探していた本が見つかってレジに並んでいた所、たまたまそこにこんな本が。

「世界を見る目が変わる50の事実」

普段から色んな点で知識不足を痛感している自分としては、思わず手にとって見てしまいました。

ぱっと見たところ、世界の様々な事実を数字の面で追っていくといったような内容で、「分析家」の自分(最近受けた会社の性格判断でこんな結果が出てしまいました。。。何か微妙に当たってて嫌ですね。。。)としてはかなり興味をそそられ、1600円という値段にもかかわらずつい買っっちゃいました。

早速帰って今までその「~50の事実」という本を読んでたわけですが、思った以上に非常に考えさせられることの多い本でした。例えば、

-70カ国以上で同性愛は違法、9カ国で死刑になる
-世界で3人に1人は戦時下に暮らしている
-拷問は150カ国以上で行われている

といった様な客観的データついて、現状の分析と筆者の考察を述べている本なのですが、正直、かなりショックを受けました。

自分は基本的には平和主義者で、どんな場合でも暴力による解決は正しくないと信じています。
しかし、様々な現状を知れば知るほど自分の考えが甘い気がしてならなくなってきました。

同性愛者というだけで死刑になっていく人、生まれた国が違うというだけの理由で飢餓で死んでいく子達、気がついたときには奴隷として売られており、自由など考えもできない状況に置かれた人たち。望む、望まざるに関わらず戦争に借り出されていく子供たち。
数え上げればきりが無いぐらい、何か罪を犯したわけでもないのに苦しまなければならない人たちの多さ。

もし、自分がこのような立場にいて、それでも「暴力による解決は正しくない」といえるのだろうか?
今ある政権が倒れない限り、不幸になり続ける人たちが増えていく現状を目の当たりにした時、それでも戦争や内紛を否定できるのか?

正直分からなくなりそうです。

自分の思想は、自分の置かれた状況が平和であるからこそ持っていられるのかも知れません。自分が真に正しい、正義だと思えることの達成が、圧政や法律によって抑圧されたとき、自分は果たして平和主義でいられるのかなぁ?
自分は今まで暴力を振るわない、人を傷つけないという信念に重きを置いていましたが、自分の信じる正義を行うために暴力という力が必要となったとき、どうすることが本当に正しいんだろう?自分が平和な状況に置かれているからこそ「人を傷つけたり殺してまで達成される正義は無い」なんて思ってたけど、実際に「少数の人を殺したら多数の人が救われる(もしくはその可能性があると思われる)」状況において、平和主義者は只の日和見主義に過ぎず、結果として権力の横行を許すだけの立場にとどまるのじゃないだろうか?

「戦争は起こしてはいけない」

「暴力を振るってはならない」

良く聴く言葉ですし、その通りだとは思いますが、果たして普遍的に使える言葉なんでしょうか?

まだ、自分の中で結論は出ませんが、じっくり考えてみたいです。

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March 06, 2005

「異常の構造」

講談社現代新書のシリーズの中に、木村敏(きむら・びん)氏の書いた「異常の構造」という本があります。
確か僕が大学生の頃に読んだ本なのですが、自分のその後の人生に大きな影響を与えた本です。

この本では、精神分裂病(確か現在はこの呼び方は撤廃されて「統合失調症」になっていたと思うのですが、本書ではこの記述を使用していたので敢えて精神分裂病と使いました。)の患者さんたちの治療を通して「そもそも異常とは何か」「なぜ異常は差別されるのか」などの問題について深く突っ込んだ考察を見せてくれています。

本自体はたかだか200ページにも及ばない薄い本なのですが、内容はかなりぶっとく、本当に為になる本でした。特にこの本の中で、(以下は自分なりの要約です。間違ってたらすみません)

人間は、その社会生活を保つために全てのことを科学的に解明しようと試み、「規則性」や「合理性」の枠の中に押し込めようとしてきた。なぜなら、「非合理」なものは予測不可能であり、社会にとって危害を及ぼす可能性があるからである。「異常」であるということはとりもなおさずこの「規則性」や「合理性」の枠をはみ出したことであり、よって危険なものとして排除されてしまう。
しかし、この「合理性」というもの自体、社会生活を保つための、人間の作った産物であり、そもそも宇宙や人間が存在しているということ自体が合理性とかけ離れたことであるのに対して、このような人間の作った「合理性」というものは、非合理の上に人間に認識できる範囲だけの合理性を乗っけた砂上の楼閣に過ぎない。

といったような内容の記述があって、この考え方には非常に影響されました。

自分がゲイだということで「異常」だと思ってた自分にとって、「異常」という認識そのものが所詮人間のエゴによって作られた産物であり、絶対的な評価足り得ないという考え方はとても新鮮で、勇気付けられた記憶があります。

また、それ以外についても「常識」とか「あたりまえ」などの言葉をもう一度考えさせてくれるきっかけを作ってくれた本でもあります。

本当にいい本だと思いますので、機会があれば是非読んでみてください。私と個人的に知り合いの方は言っていただければお貸ししますので(だいぶ古くなっちゃいましたが)お申し出下さい。

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